北九州市は昭和の四大工業地帯の一角を占めた工業都市であり、
商業都市でサービス業の集中する福岡市と対照的に大手製造業の工場が多く存在する。
労働者の多い工業都市はマンチェスターなどスポーツが盛んなことが多く、
北九州市も野球やサッカーなど様々な競技の名選手を多く輩出してきた。
本州以外唯一の天皇杯覇者であった八幡製鉄サッカー部の後身・新日本製鐵八幡サッカー部に
Jリーグ創設時には九州から唯一の参加が打診されたが予算面の問題で現実とならず、
九州や中国の各クラブを招いて北九州市長杯争奪北九州招待サッカー大会を主催し
新日本製鐵八幡サッカー部と三菱化成黒崎サッカー部の合同チームが出場するなどしていた。
21世紀になって鳥栖・福岡・大分に次ぐJリーグ参入を目指す市民クラブが発足、
当時九州リーグに属していた三菱化成黒崎サッカー部を母体として譲り受ける。
合同チームの名称「ニューウェーブ北九州」を引き継いで名乗りJリーグ参入を目指し、
7年掛けJFL昇格しJFL2年目の2009年に4位となってJ2参入条件を達成。
2010年より商標上の問題からチーム名を「ギラヴァンツ北九州」と変えた上でJリーグに参入した。
本拠地は2016年度まで中心部から離れた場所にある本城陸上競技場、
2017年度から新幹線小倉駅から歩いてすぐのミクニワールドスタジアム北九州。
監督
日本代表選手として有名だった、監督としても活躍する柱谷兄弟の弟の方。
現役時代はDFを主に務め、熱く仲間を鼓舞するスタイルから闘将と呼ばれた。
監督としては初めて務めたコンサドーレ札幌で失敗し半年で解任されたものの、
その後コーチの経験を重ね現役時代の古巣ヴェルディの昇格に貢献。
2011年より水戸ホーリーホックの監督として招かれ、一時的に昇格争いに加わったり
後の日本代表となる塩谷を育てたりするなど2015年途中までの長期政権となる結果を残した。
先発の11人がフルタイムプレーして勝ちきる、選手達はその11の枠を激しく争う、という
黄金期ヴェルディの如きサッカーを理想としているようで、下部リーグの選手にも高い要求は変わらない。
疲れるなどしてチームの弱点となっている選手を交代すれば試合を楽に進められる、という場面でも
そこでその選手が奮闘し最後までやれれば一皮剥けると期待してか代えないことが多い。
戦術家だった前任者が内容の割りに不思議と勝てない試合を重ね最下位に沈んだギラヴァンツ北九州に
請われて2018年6月下旬に監督として就任、選手を鼓舞し建て直しを図る。