*川西 翔太
背番号: 48
ポジション = FW
利き足 右
2004年、青森県の強豪高である青森山田高校にサッカー留学。2005年にはインターハイ制覇を経験。3年にはストライカーとして司令塔のロメロ・フランクら共に青森山田の攻撃サッカーを支えた。2007年に関西に戻って大阪体育大学に進学。2008年にはチームは関西学生リーグ2部所属ながら総理大臣杯を勝ち進み、決勝戦では川西が2ゴールを挙げ、大体大にとって22年ぶりとなる優勝に貢献。
2011年、J1リーグ・ガンバ大阪に入団。同年4月24日、J1第7節のサンフレッチェ広島戦でリーグ戦初出場を果たし、初得点も記録した。2014年シーズンはモンテディオ山形へ期限付き移籍。シーズン中盤から2シャドーの一角としてレギュラーの座を掴み、山形のJ1昇格に貢献した。
2016年はキープ力と前線からのプレスを買われボランチに転向し、リーグ戦37試合に出場。
2017年、大分トリニータに完全移籍。シーズン途中からボランチとしてレギュラーに定着して37試合に出場。2018年もボランチorシャドーの位置でプレーをしてチームに貢献しており、片野坂監督からも評価が高い選手。途中出場でも川西が魅せるプレーにサポーターは期待している。
*三平 和司
背番号: 27
ポジション = FW
利き足 右
高校時代までは無名の存在であった中、練習試合でのプレーが当時の神奈川大学サッカー部監督の目に留まり神奈川大学に進学。
2008年には関東1部で得点ランキング5位タイとなる10得点をマークし、湘南ベルマーレに特別指定選手として選手登録されると、4試合に出場し1得点をマーク。FC東京の練習に参加をするなど複数クラブから注目された中で、一番早く獲得オファーを受けた湘南への加入を決め、2009年8月に翌シーズンからの湘南への加入内定が発表。
2011年、J2・大分トリニータに期限付き移籍。当時の監督である田坂和昭によって右ウイングバックにコンバートされると、持ち味のスピードを生かし出場機会を伸ばす。
2012年は「大分でやり残したことがある」という理由から期限付き移籍を延長し大分に残留。スタミナ配分ができるようになり、1対1での間合いを掴んだことで課題であった守備も向上。セットプレーでは落下地点まで抜け出し、打点の高いヘディングシュートで得点を量産し自己最多の14得点をマーク。森島康仁と並びチーム得点王となり、大分のJ1昇格に貢献した。京都サンガに復帰して2013〜2014年までの2年間でリーグ戦66試合に出場し15得点をマークした。
2015年、大分トリニータへ完全移籍。3年振りの大分でのプレーとなった。J3リーグに降格した2016年も大分に残留。故障の影響などにより15試合の出場に留まりながら、第29節・Y.S.C.C.横浜戦と最終節・ガイナーレ鳥取戦の2試合連続で1試合2得点を記録するなど、チーム2位の10得点を記録し一年でのJ2復帰に貢献。
2017年はJ2でプレーをし2018年はFW陣の競争争いが激しい中で結果を残そうとアピールをする。第一子も誕生し今季は好調の中でJ1昇格へとチームを導いている。
明るい性格で、その場の雰囲気を明るくすることに長けたムードメーカー!親しみやすく底抜けに明るいキャラクターで大分トリニータサポーターから絶大な人気を誇っている。
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*伊佐 耕平
背番号: 18
ポジション = FW
利き足 右
2010年に大阪体育大学に入学。入学後も前述の手術の影響により、リハビリに時間を費やす形となり、更に翌年3月には右膝の靭帯を断裂し2年までは公式戦の出場機会は無かった。怪我の癒えた大学3年時の2012年より出場機会が増え、2013年は2学年下の澤上竜二とのツートップでチームの総得点数の半分以上をマークした。
2014年、大分トリニータに加入。第4節・熊本戦で先発出場によりプロ公式戦デビューを果たす。同年は無得点ではあったものの先発出場5試合を含むリーグ戦15試合に出場。2017年はリーグ戦出場39試合の内、26試合が交代出場とスーパーサブとしての起用が多かったが、チーム2位となる9得点をマーク、2018年は出場試合数と得点は前年より減少したものの、先発機会は16試合と前年より増加。「フィジカルを鍛えたことで相手を抑え込もうと気にせずトラップに集中できるようになった」とポストプレーでの貢献度も高め、チームのJ1昇格に貢献した。
勝利後にサポーターが待ち望んでいるのは彼のインスタグラム更新だ。
試合後の選手の様子などを発信してサポーターには常にファンサをしてくれる本当に素晴らしい選手。
来年もJ1の舞台で伊佐選手が活躍して、サポーター全員が好きな伊佐スタグラムを発信してほしい!
*林 容平
背番号: 11
ポジション = FW
利き足 右
2008年に中央大学に進学し、サッカー部に入部。2期上に村田翔、1期上に永木亮太が在籍。2010年にはU-21日本代表としてトゥーロン国際大会に参加。前線での豊富な運動量と得点力から全日本大学選抜のエースとも目された。
古巣浦和も獲得を図っていたが、2012年からFC東京へ加入。同年5月26日の浦和戦でJリーグ初出場。ゴール前での嗅覚と敏捷性を武器に、相手の背後を突く動き出しでアピールを続け2013年の天皇杯準々決勝では延長戦後半終了間際に値千金の決勝点を挙げた。
2014年7月より大分トリニータへ期限付き移籍。移籍元クラブは引き続きFC東京、サイドハーフやセンターフォワードで起用された。2015年、移籍期間を満了してFC東京に復帰。2016年は主にU-23チームのオーバーエイジとしてプレー。
期限付き移籍でプレーした2014年のオフ以来、毎年オファーを寄せていた大分トリニータの熱意に応えて、2017年に大分へ完全移籍。
2018年、試合出場数は減少した中でも出場機会を与えられたチャンスに結果残してアピールをし続けた。
実は熱い気持ちを持った選手で、試合に出れない期間でも練習から必死にアピールをする真面目な選手。チームではいじられキャラでもあり、選手・サポーター全員から愛されてる選手でサポーターからの人気も高い。
*藤本 憲明
背番号: 10
ポジション = FW
利き足 右
小中学校時代をガンバ大阪の下部組織で過ごした後、2005年に青森山田高校に進学。高校3年に右サイドバックのレギュラーとして第87回高校選手権に出場を果たしたが、チームは初戦敗退。2008年、近畿大学に進学。4年には背番号10を背負い、セットプレーのキッカーを務めるなど、チャンスメーカーとしてインカレ出場を果たしたチームを牽引した。
2012年に当時JFLに所属した佐川印刷SC(2014年に佐川印刷京都SC、2015年にSP京都FCに改名)にアマチュア選手として加入。2015年、10月にチームが同年限りでの活動休止を発表。
移籍先を探す最中、翌年よりJ3リーグに昇格する鹿児島ユナイテッドFCからオファーが届く。プロサッカー選手としてJリーグで活躍したいという思いから直ぐに移籍を決意、SP京都でのチームメイトであった山岡哲也・麻生瞬と共に鹿児島に完全移籍。
1年目の2016年は第3節・YS横浜戦で自身と鹿児島のJリーグ初得点となるゴールを記録。その後も得点を重ね通算では15得点を記録し、後藤優介(大分)と1点差でJ3得点王を獲得した。
2017年は副キャプテンに就任。2月のニューイヤーズカップではJ1・ジュビロ磐田との試合で先制点となるゴールを記録し、磐田監督の名波監督からは「上のカテゴリーでも十分通用する」との評価を受けた。リーグ開幕後も好調を維持し、2度のハットトリックを達成するなど24得点を記録。2位の薗田卓馬(沼津、19得点)に5点差を付け2年連続でJ3得点王を獲得。
2018年、得点力のあるストライカーを求めていたJ2・大分トリニータに完全移籍。移籍初年度より背番号10を背負う事となり開幕戦・栃木SC戦でJ2初出場初先発を果たすとJ2初得点をマークした。
第19節・松本戦で15試合振りに先発復帰を果たすと、以後出場機会を増やした。9月には第32節・熊本戦 - 第35節・水戸戦と4試合連続で得点するなど6得点をマーク。うち4得点は途中出場からマークしたものであった。シーズントータルで12得点を記録し、馬場賢治と並びチーム得点王となる活躍を見せ、J1自動昇格に貢献した。
J3で活躍を続け今年から初のJ2の舞台に挑んだ藤本、大分に加入し背番号10番をつけて開幕前からサポーターに驚きを与えた。
開幕から数試合は出番があったがチームが結果が出ず出場機会が減少… しかしTMで結果を残し続けて監督にアピールした。
今年からJ2初舞台にも関わらずシーズンで12得点の大活躍!彼の活躍なしでは昇格は出来なかっただろう。
次の舞台はJ1!彼の持ってる力を存分に発揮して活躍してほしい。
*後藤 優介
背番号: 9
ポジション = FW
利き足 右
中学時代までを鹿児島県で過ごし、高校進学時に大分トリニータU-18に入団。同級生に為田大貴・茂平、2学年上に刀根亮輔、1学年上に松原健、1学年下に國分伸太郎。1年時からスタメンに抜擢され、3年時にはプリンスリーグ九州1部で21得点をマークし、得点王。
2012年、U-18から大分トリニータトップチームに昇格、FW登録選手としてはクラブ初の昇格事例となった。高松大樹・森島康仁・チェ・ジョンハンらライバルの存在もあり出場機会が限られた事で、7月にJFL・HOYO AC ELAN大分(現・ヴェルスパ大分)へ期限付き移籍し試合経験を積む。
2013年、大分に復帰。前年同様終盤までは出場機会には恵まれなかったが、10月13日の天皇杯3回戦・新潟戦で途中出場すると、0-0で迎えた延長前半2分に決勝点となるゴールを記録。このゴールが大分での初得点となった。2014年から背番号を9番に変更。同年はリーグ戦での出場試合数を初めて二桁(20試合、内先発出場が12試合)に乗せ、Jリーグ初得点を含む2得点を記録した。
2016年はJ-22選抜以来、自身2年振りのJ3でのプレーとなった。前年までは起点になる事を意識し過ぎる余り伸び悩んでいた、しかし監督に就任した片野坂知宏の指導のもと攻撃意識の改革に取り組んだ結果、以前まではシュートを撃っていなかった場面でも迷い無くシュートを選択することが出来るようになり才能が開花した。J3第26節・盛岡戦から第29節・YS横浜戦にかけて4試合連続得点を記録。チーム得点王となり、リーグ全体でも藤本憲明(鹿児島:15得点)に次ぐ2位となる14得点を記録し、大分のJ3優勝・1年でのJ2復帰の立役者となる活躍を見せた。12月に開催されたJリーグアウォーズにおいて、MYアウォーズのJ3部門のMVPとベストイレブンに選出。
2018年は鈴木義宜、小手川宏基、丸谷拓也と共に副キャプテンに就任。8月11日、J2第28節・岡山戦にて、スコア1-1の後半37分に途中出場をすると、2得点をマークし勝利に貢献。その中で決勝点になった後半40分の、ジャンピングボレーでゴールを決めた場面をブラジルメディア・UOLエスポルチが取り上げ、「(同日Jリーグ初得点をマークした)イニエスタ以上のスーパーゴール」、「大分のストライカー、ユースケ・ゴトウが輝いた」と称賛された。その後の試合は無得点であったが、トータルで10得点をマークし3年連続でリーグ戦2ケタ得点を達成してJ1の昇格に貢献した。